パリから東北東150kmにReimsという歴史ある街がある。これがカタカナ表記ではランスとなる。
『シャンパーニュの中心的な都市であるランスの歴史はローマの属州ベルギーの首都であったガリア=ローマ時代にさかのぼる。498年にこの地でフランク王国を統一したクロヴィスが洗礼を受けて以来、シャルル10世まで25人の歴代のフランス王が戴冠式をおこなう政治的・宗教的に重要な土地として位置づけられてきた。このため、ランスには1991年にユネスコ世界遺産に認定されたモニュメントが4つもある。
第二次世界大戦にはドイツ軍に占領され、壊滅的な被害を受けたが、1945年5月7日にはヨーロッパでの第二次世界大戦を終結させたドイツ降伏条約が調印されたことでも知られる。
街の中心はフランスの三大聖堂のひとつノートル・ダム大聖堂がそびえたつ。このノートル・ダム大聖堂ではシャルル7世の戴冠式がおこなわれ、その際、ジャンヌ・ダルクも列席した。
ランスはシャンパンの本場で、街の郊外には一面ブドウ畑が広がる。フランスで活躍した日本人画家、藤田嗣治が壁画を描いたことで知られるチャペルのフレスコ画はブドウの収穫がモティーフで地元の特徴にあふれている。街のいたるところにシャンパン専門店があり、低価格で購入できる。高級なイメージも強いシャンパンをぐっと身近なものに感じることができるだろう。』(フランス政府観光局公式サイトより)
昨日日本から戻り少し時差が残っていますが、今日は晴天予報だったので急遽思い立ち出発。朝8時半の環状高速は渋滞も無く、A4に入ると時速130kmで順調に走り1時間半でランスに到着。パーキングに車を入れて通りに出ると、「寒い」。気温はマイナス3℃。
まずは街の地図をもらいに、大聖堂の隣にあるOffice de Tourisme(観光案内所)へ。係の親切なおじさんがどこから来たのかと聞くので、日本から来ましたと言ってみると日本語の地図をくれ、丁寧に解説までしてくれた。しかもフランス語の先生よりもゆっくりと話してくれたので、自分でも結構わかったなあと思っていると、妻は「私は全部わかったよ」「・・・」
さて、気を取り直して大聖堂前の広場にあるジャンヌダルク像を拝謁。意外に小さな像だった。
今年で800年を迎える13世紀のゴシック建築の最高傑作。ミサの開始時間だったため、ミサに参加する方々が続々と。
これはランスの南にあるサン・レミ聖堂。静かな住宅街に佇み、訪れる人も少なく世界遺産とは思えないほど地味なのですが、内部に入ると12世紀のステンドグラスから射す優しい明るい光が満ちていました。
そしてランスの北には、藤田のチャペル(Chapelle Foujita)と呼ばれる画家・藤田嗣治がつくった礼拝堂があります。5月から10月までしか中には入れないのですが。
このチャペルの隣には、あの有名なシャンパンMUMMのCAVE(カーブ)があります。残念ながら日曜は開いておらず見学できませんでしたが、この街には有名なシャンパンのセラーがいくつもあります。お酒好きなら是非電車で来て楽しみたい街です。
滞在時間は4時間ちょっとと短かかったですが、寒さのためか観光客も少なく、静かに散策ができました。
そしてパリに比べてずっと綺麗な街です。歩く時に足元に注意しなくて良いのですから。
それにしても寒い一日でした。
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2011/01/30(日) 18:42:04 |
旅の記録
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Ma motivation(F) = My motivation(E) かな。幸いにも仏語と英語で似ているようだ。
普段通りの生活に戻って3週間経つと、何だか余裕がなくなってきますね。そうなってくるとランニングしようという気持ちは湧いてこず、通勤時に、日の出前から走っているランナー(パリには結構います)を見ると、「真似は出来ないあ」とか思うようになってきます。
自分を動機づけるためにどんな方法をとるか。いろいろとあるのでしょうが、自分の場合はレースにエントリーしてしまい、走らなければいけない日を設定することが多いです。
さきほどエントリーしたのが、Les Foulees de Vincennes 10km。この大会は4000人の枠ですが既に3700人がエントリーしてたので慌てて登録。
エントリーフィーが12ユーロと財布に優しいので、DNSしてもあまり痛くないのが難点。
明日からまた出張なので、結局レース当日まで走らないかもなあ。。。
2011/01/21(金) 22:48:11 |
ランニング
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冬休みの旅行日記も終了したので普段の週末の日記を。先週、今週と平年以上の暖かさになったパリ。お天気にも恵まれています。
今朝は数人の仲間とシャン・ド・マー公園をランニング。彼らとは前回11月の終わりに一緒に走って以来。今朝は6℃、あの時よりも全然暖かい。結局、カフェで雑談している時間の方が長いゆるい集まりでした。
一度アパートに戻り、今度はクラシックカーの祭典(Traversee de Paris)に出かけます。
昨年雪の中での開催 でしたが、今年は快晴。
場所はトロカデロ広場ですが、昨年とは大違いのスペースの狭さゆえか、車の数も少なく残念でしたが、これらすべて普通に公道を走れる整備状態の良さ。素晴らしいです。
クラシカルな自転車も参加してました。
今日はロードバイクを良く見かけました。このお天気と季節外れの暖かさ。
自分のロードバイクは部屋の中で埃が積もってきていますが、3月のハーフマラソンまではランニングしないとね。
2011/01/16(日) 15:20:34 |
パリの日々
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12月27日
最終日。
午前中はモロッコ最大のモスク、ハッサン2世モスク(Mosquee Hassan Ⅱ)を見学する。ホテルからは港に沿った道を歩いて15分と言われたが、どんなに速く歩いても15分で着くような距離ではなかった。それに観光客はこの道を歩いていないようで、かなり緊張しながらの道のりだった。
途中、映画「カサブランカ」に出てくる「Café American」に似せて作られた「Rick’s Cafe」を目にする。旧メディナ内の北端にあるのだが、この建物の壁だけが際立って白く塗られている。
目の前にモスクが現れる。太平洋に面した9ヘクタールの敷地に2ヘクタールの広さの建物。ミナレット(尖塔)は200mの高さ。
1986年から93年まで8年で建造されたモロッコ国家プロジェクトだったそうだ。
モスク内部を見学するためのガイドツアーが一日4回礼拝の合間の時間に行われている。英語、フランス語、イタリア語、スペイン語に分けてガイドさんが案内してくれる。入場料は一人120DHと少し高いが、建設費や維持費の一部になっているのでしょうか。
内部には2万5千人の人が収容可能。イスラムの重要なお祈りの日には、モスク内に2万5千人、外に8万人がお祈りをするそうだ。
お祈りをする方向は、メッカに向かった方向。モロッコからは東にあたる。
また、このモスクの天井は開閉式になっている。
地下には参拝客が手や体を清める泉も設けられている。
さて一時間の見学ツアーが終了しホテルに戻りチェックアウト。
空港に向かうためにタクシーを呼んでもらいます。空港まではグランタクシーという乗用車タイプのタクシー。すべての車両が古いベンツ。乗る時に料金を確認。
途中でガソリンスタンドに寄ったりもする。
日本では客を乗せたタクシーが給油するなんてことはないが。
このタクシーは25年走っているそうだ。不思議と、モロッコではタクシー以外にベンツを見かけなかった。高級車といえばBMW、ベンツといえば古いタクシーのイメージかも。
約一時間、空港に到着。運転手に250DHを渡そうとすると「俺は300DHだ」という。ふっかけてきた・・・ポケットにあった小銭を少し足すと「OK」だった。
すると、いきなり別の人が寄ってきて、航空会社はどこだと聞いて自分たちのスーツケースを勝手に運んで行く。「自分でやるからいい」と言っても、「No problem, no problem」と繰り返すだけ。空港の入り口のセキュリティ(何のためにあるのか不明)まで勝手に通過していく。「これ以上触るな」というと「じゃ50DHだ」と言ってくるし。50mスーツケースを動かしただけだぞ・・・こういう風に外国人から金を取って生活をしている人が多いのか?
無事チェックイン。
フライトは1時間近く出発が遅れたがパリ到着。ホッとする。
4泊5日のモロッコ旅行。初めて見るイスラム文化、貧富の差、喧騒と匂い、ちょっとびっくりのチップ要求。異文化体験の旅だった。
これで本編終了。ながばがと駄作にお付き合いいただきありがとうございました。
2011/01/15(土) 17:39:36 |
旅の記録
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12月26日
マラケシュの旧市街の居住区遠景
今日はカサブランカへ戻るだけ。列車が2時間に一本なのでかなり余裕を持って駅に向かう。
お祈りの部屋があり、次々と人が入って行く。
一等車の席を2席購入。乗ってからわかったが、席番号は41,42と続きだが席が隣で無かった。チケット売る人もそこまで確認しないらしい。
3時間半、カサブランカの駅に到着。駅を出るや否やタクシーの運転手が声をかけてきたので、付いて行く。通常より高い料金を払わされるが、それに自分も慣れてきたらしい。なんか変だが・・
カサブランカは人口が4百万とも5百万とも言われる経済の中心。渋滞もひどいし貧富の差も激しい。街にはふらふらと歩いている職の無さそうな人を良く見かける。失業率もかなり高そうだ。
ホテルにチェックイン後、夕食を食べに出かける。カサブランカは港町。魚が食べられるレストランを見つけてそこに入った。飲み物のメニューがない。イスラムでは禁止されているのでレストランにもアルコールは置いていないようだ。マラケシュは観光地なので外国人が利用するレストランにはワインもあったのだが。
歩道を歩いていても暗くなると更に怖い・・・実際は大丈夫なんだと思うが、足早ホテルに戻る。
2011/01/15(土) 00:03:00 |
旅の記録
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12月25日
朝5時ごろ、モスクから大きな音が聞こえてきて目が覚める。イスラムの夜明け前のお祈りのようだ。
遅めの朝食を済ませ、伝統工芸館へ。
ここはモロッコの伝統工芸の実演風景と製品が見れ、そこで販売もしている。スークと違って値札も付いているので交渉する必要はないし、ゆっくり見るにはいいと思う。
ここでアラビア文字のカリグラフィー作品を購入。
伝統工芸館からメディナの南にある史跡のある方面まで歩いて向かうが、途中は地元の人の生活の場なのか市場や商店の中を抜けていく。
訪れたのはエル・バディ宮殿(Palais el Badi)。サアード朝(1549-1659)時代に25年かけて建設した宮殿。後にアラウィー朝によって破壊され現在は廃墟。テラスに上がると360度見渡すことができる。メディナの喧騒と対照的なほど、この中は静かで落ち着くのです。
フナ広場が見えるカフェで遅いランチを済ませ、午後はホテルでのんびりと過ごすことにする。喧騒と排気ガス、そして異文化での緊張でちょっと疲れた感じ。
カフェ、昼寝、読書で夕食の時間までホテルで過ごす。夕食もホテルのレストラン。
2011/01/13(木) 21:53:41 |
旅の記録
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夕方、マラケシュの旧市街(メディナ)へ散策に向かうが、この街も古い車とバイクが無秩序に走っていて排気ガスの匂いとクラクションの音がすごい。タイムスリップした感じだ。
まずはクトウビア(Koutoubia)、12世紀に立てられたミナレット(塔)は77mの高さはマラケシュのシンボル。
中では丁度お祈りをしていたが、イスラム教徒以外は中には入れない。
そしてマラケシュの中心、ジェマ・エル・フナ広場(Place Djemaa el Fna)。
大道芸人の見世物と屋台が立ち並ぶ観光名所。蛇使いの芸や猿回しの周りには人の輪ができている。観光客の前で地元の子供がいきなり宙返りをしたと思ったら、お金を要求するような場面も多々あって、純粋には楽しめない場所でもあるのでした。
フナ広場の北側に広がるスーク(市場)に入ってみた。細い通路の両脇に小さな店が軒を並べている。その通路をバイクが駆け抜けていくので、歩くだけでも緊張。スパイスの匂いや皮の匂いや、色々な匂いが混じっている。
スークを出てカフェで名物のミントティーで休憩。モロッコは喫煙者が多く余り分煙されていないのでカフェ内もタバコの煙が漂う。
歩き疲れたので一度ホテルに戻る。
夕食をどこで食べるかは旅行ではいつも悩む。疲れたのでホテルで済ませようかと思ったが、今日はクリスマスイブでホテルのレストランは予約で一杯。それにパリの星付きレストランと変わらない値段のNoelメニューしかないらしいので、ガイドブックに載っているレストランを目指して再びフナ広場へ向かう。
Le Marrakchi(ル・マラクシ)というモロッコ料理店。壁の装飾がモロカンスタイルで雰囲気がいい。
二人用のモロッコ料理尽くしのようなセットメニューをオーダー。前菜に8種類のオードブルが出て、メインは牛、羊、鳥と3種類の小さめのタジンと野菜のクスクス。デザートはパンケーキのようなモロッコデザート。最後にミントティー。
途中でモロッコのダンスショーもあり楽しめる。お勧めのレストランです。
2011/01/11(火) 22:12:24 |
旅の記録
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12月24日(金)
朝食後、ホテルの周辺を歩いてみた。少し外に出ただけで喉が痛くなった。凄まじい運転の車の車列を縫うように道路を渡っていく歩行者もこの街の特徴かも。
今日はマラケシュに移動する。コンシェルジェに調べてもらうとマラケシュ行きの電車は2時間毎らしく10時50分の電車に乗ろうと早めにホテルを出発。ホテルからプチタクシーに乗ってカサヴォイジャー駅まで10分もかからない。これで40DH取られた。4ユーロ程度なので大きな金額ではないが、あきらかにぼっている。ガイドブックにもタクシーで多く請求されても怒らないようにと書かれていたので、言われたまま支払う。駅で電車のチケットを購入。マラケシュまで3時間半、一等車で140DH。この値段を考えるとやっぱりタクシーは高い。
電車が車で時間があったので隣のカフェで時間をつぶす。
白い壁がカサブランカのイメージ。
ホームは地下通路で移動だが、堂々と線路を渡る人多数。
電車がホームに入ってきた。
電車が走り出すとすぐに郊外の景色に。見渡す限り畑なのか、牧草地なのか緑が多い。大きなサボテンが栽培されているのも見かける。これは繊維をとるため?
新幹線なら1時間半ほどの距離を3時間半で走る特急列車も終点。マラケシュの駅に降りると日差しが暖かく南国の雰囲気。
改札も無く駅を抜けると、怪しいおじさん達の「Taxi? Taxi?」という呼び込みの洗礼を受ける。特にアジア人への呼び込みはしつこいようだ。うるさいと思いながらも、タクシーに乗る以外の手段が無い自分たちはおじさんに付いてタクシー乗り場へ。例のプチタクシー。マラケシュではベージュのようだ。ホテルの住所を示していくらかを聞く。
「二人とカバン2つだから50DHだ」と、おじさん。「高すぎる」と文句を言ったが、「No problem, no problem」とおじさんは繰り返しながら、勝手にスーツケースを車に詰め込んだ。カサブランカからマラケシュまでの一等列車が140DHだったのに、タクシーで5分で50DH・・・。この国では経済統計に表れないお金の動きで生活している人が大半なのかも。
ホテル(HIVERNAGE HOTEL & SPA)に到着。高級リゾートアパートやホテルが集まったフランス人密度の高い地区。何から何までフランス語。欧州系のホテルチェーン系列なら英語対応OKですが、このホテルはそうでないのでフランス語らしい。辛い・・・
部屋は落ち着いた色調で各所に幾何学模様が入っているので、自分の中で想像するモロッコの雰囲気。
2011/01/09(日) 20:01:50 |
旅の記録
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冬休みにモロッコへ行ってきた時の記録です。
12月23日(木)
今日からモロッコへ。暗いパリを離れて少し暖かい場所に移動。
10時にタクシーで空港へ向かう。道路はすいていたので30分ほどで到着したのだが空港内は大混雑。ここ数日そしてこの日もキャンセル便が相次いだためかチェックインカウンターは長蛇の列。床に寝ている人たくさんいるし。出発時刻の2時間以上前に空港に到着したにもかかわらず、混雑と、日本では考えられないような係りの人たちの手際の悪さでかなり焦りながらギリギリ搭乗。
飛行機が動き始めるかと思うと、機内アナウンス。雪が激しくなってきたので一時滑走路を閉鎖することに。満席の機内で待つこと2時間。ようやく滑走路が半分オープンし、飛行機のデアイシング(氷落とし)を終えてようやく飛ぶことができました。
結局、2時間以上遅れてカサブランカ空港に到着。
入国審査やラゲッジ引取りを終えて空港を出ると真っ暗。カサブランカ市内までタクシーで移動しようと思いタクシー乗り場に行くと、客引きのお兄さんがスーツケースを持って勝手にタクシーに案内し、チップをよこせと、渡すと金額が少ないとしつこく文句を言ってくるし、この国の一面を見た感じ。さらに、驚いたのはタクシーが走り出してしばらくすると、後ろからやってきた別のタクシーが並び、運転手同士で話。2台が路肩に止まり、どうしたのかと思うと「行き先が同じ方向だから相乗りにする」とのこと。ドイツ人のお兄さんが助手席に乗り込んで再び出発。確かに我々のホテルとその人のホテルは近かったが、それぞれから250DHずつ取るのだから、このタクシー相乗りシステムにはびっくり。
人口400万人のカサブランカはモロッコの経済の中心らしいが、渋滞、運転マナーの悪さ、クラクションの数、排気ガスで汚れた空気と、まさい新興国の大都市の典型を見るようだった。
ホテルはGolden Tulip Farah Hotel。ヨーロッパのホテルチェーンだが、ホテル内は部屋も含めてヨーロッパの大都市にいるのと変わらない。
モロッコの伝統工芸を活かしたランプ。
この日はホテルについたのが遅かったのでホテル内のモロッコレストランで食事。
欧米とは違う環境での緊張と飛行機の遅れでぐったりの初日でした。
2011/01/08(土) 20:03:06 |
旅の記録
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先日、スーツケースを世界的に有名な某S社のフランスのサイトから購入をしたのですが。
サイトがフランス語であることを除いては、在庫の有無、デリバリー可能日まで表示されており、さすが世界のS社と思いサイトから購入。すぐに、確認メールやカード決済完了メールが届きました。その翌日には電話まで掛かってきて、今週金曜日のデリバリーですとの確認。丁寧な対応だと安心。
すると昨日(配達予定日の前々日)にメールが届き、「申し訳ございませんが、在庫がありません。このままお待ちになるか、他の商品に変更しますか」という内容。やっぱりここはフランスだなあ。。。「待ちたくもないし、他の商品は興味がないので、オーダーキャンセルして返金願います」。自分の拙いフランス語の文章が通じないといけないので、「フランス語が母国語でないので英語でも書きます。・・・・・・」と返信。
翌日返信があり、「ご希望のスーツケースあります。明日にでも配達可能です。キャンセルしますか、配達しますか連絡ください」と英語で帰ってきた。本当に人騒がせな・・・
しかも、留守電にもメッセージ、それも今度は英語だ。さすが世界のS社と変なところで感心。
このスーツケースに縁があったのか無かったのか、少し悩んで、「配達してほしい」旨を伝えた。これで違う商品が届いたりしたら、本当に笑い話だ。
ここはフランス。この程度のいい加減さにいちいち腹を立てていてはいけませんね。
2011/01/07(金) 22:27:20 |
パリの日々
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歴史を紀行する<新装版>
司馬遼太郎 著
文春文庫 (2010年02月10日)
内容 (「BOOK」データベースより)
幕末―松陰を筆頭に過激に突っ走った長州。西郷、大久保と大人の智恵を発揮した薩摩。容保を頂点とした会津の滅びの美学。危機の時ほど、その人間の特質が明瞭に現れる時はない。風土と人物との関りあい、その秘密、ひいては日本人の原形質を探るため、日本史上に名を留める各地を歴訪し、司馬史観を駆使して語る歴史紀行。
目次 1.竜馬と酒と黒潮と[高知] 2.会津人の維新の傷跡[会津若松] 3.近江商人を創った血の秘密[滋賀] 4.体制の中の反骨精神[佐賀] 5.加賀百万石の深い眠り[金沢] 6.“好いても惚れぬ”権力の貸座敷[京都] 7.独立王国薩摩の外交感覚[鹿児島] 8.桃太郎の末裔たちの国[岡山] 9.郷土閥を作らぬ南部気質[盛岡] 10.忘れられた徳川家のふるさと[三河] 11.維新の起爆力・長州の遺恨[萩]政権を亡ぼす宿命の都 12.12.政権を亡ぼす宿命の都[大阪]
感想 やはり司馬遼太郎の歴史と風土を結びつけた作品は面白い。自分がその土地に生まれ育っていたらどういう気質を持っていたんだろうかなどと考えてしまうと、やや司馬文学に傾倒しすぎかもしれないのですが、不思議とそう思いながら読んでいます。
この紀行文が書かれたのは1968年と40年以上も前なので、各地域の風土色が薄まっているのかもしれませんが、きっと根底に脈々と流れ続けて欲しい。やはり日本の歴史が作り出した各地の風土は無形の遺産のような気がします。
新装版は文字が大きくなっていて読みやすかったです。
2011/01/03(月) 12:39:08 |
BOOK REVIEW
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2011年1月1日
日本では大晦日は年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞き厳かに年が代わるのを迎えるというのが一般的ですが、フランスでは31日は友人や家族で年越しパーティをする人が多いようです。スーパーも店頭にシャンパンが山のように並びます。
日付が変わる時間にエッフェル塔は光り輝き、走る車は一斉にクラクションを鳴らし、あちこちで花火が打ちあがりお祭り気分。
明けて1日、街はひっそりと静まり活動がストップしたような感じ。
朝少し遅い時間にセーヌ川をランニング。アレクサンドル3世橋までの往復で約6km。やはり今日も曇天。明日は雪かな。
昨晩セーヌ川沿いのあちらこちらでシャンパンを空けたので、シャンパンボトルとその破片、コルク栓が無数に道路や公園に散らかっている。本当にマナーの悪さにはがっかり。
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2011年はどういう年になるだろう。
2011/01/01(土) 14:29:10 |
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